2022-06-09 ファッション業界、ひとり読書会みたいなラジオ
撮影は明日の予備日を残すのみ。
フランスのものは私の体格からすると何でも高くて重たい。ハンガーにかかっている服はたぶん500点くらいあるのだけれどそれをセッティングしてハンガーが回ってしまわないようにコントロールして撮る、裏面や生地の詳細も撮る、その合間にモデルさんも撮る、カメラはなかなか重たいので、首と肩が凝る。
3月には1日目に背中ががちがちになってしまって(緊張が半分だったと思うけれど)お風呂とストレッチで丹念にほぐさないと仕事が続けられなかったのだけれど、今回はだいぶ楽。
会場にいる人々はみんな真面目で親切だけれど、プレスや仲買人のなかには明らかに「ただの下っ端スタッフ」とそうでない人との対応の違うひともいて、それを観察している。モデルはクライアントからの要望で次々に着替えて商談をしている塊の間を歩くのだけれど、モデルに気づいているのに一瞥もくれず無視をするような場面を何度も見た。私は見てるよ!そして撮らせてくれ!とそこに駆け寄るわけだけれど、まあ肉体的にも精神的にも大変な仕事だろうなと思う。
ダンサーも少しそういうところがあるけれど、自分の体は自分個人の意志のもとにもちろんあるのだが、でもどこかで自分は「見られることで価値付けられる商品である」という意識もうっすらある。もちろん時代は変わったことで彼らは私とは違うメンタリティを持っているに違いないのだけれど、自分の肉体自体が自分の仕事の成果であるというのは、他の職種にはない自己矛盾を抱える可能性があるような、気がする。
どんな風に生きても社会に出れば(ひとりでいるのでなければ)困難な目には遭うわけだし、何かを特別視しようとしているわけではないけれど(だいたい、責任ある大人がそこにいるのだし)。
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読書会をしたい、と発言してから、実はずっと自分ができるかたちについて考えている。
声をかけてくださった方にはちゃんとしたお返事ができずにいる。というのは、本を読む頻度や速度的に、どなたかと一緒に定期的に何かをするとしたら迷惑をかけてしまうorがっかりされてしまうような気がして…。それに、私は脱線して何かを話すこと
ばかりしそうで、深くて順序だった考察や語りができない。
『ウォークス』なんて何ヶ月経っても読み終わってないし…。
こうしてscrapboxに読書メモをあげて、そこでやりとりするアカウントを作ってみようかなとも考えたけれど、参加のハードルが高いのに私がそれをきちんと仕切ることができるかも分からない。人を誘うからには少なくとも1年は続けなきゃ…ともしかしたら真面目に考えすぎなのかもしれないけれど、時が経つほどに慎重になってしまって今に至る。
このごろは、どなたかと読書会をする前に、まずは本を読んでそのことについて何かしら考える習慣を取り戻すことが先のような気がしている。前は5分でもあったら本に没頭していたのに、今は30分あってもからだがふわふわしてしまう。
よく言われるように「読んだら内容を人に教えられるくらいにまとめてアウトプットせよ」というのがどうもできる気がしない。あらすじとか全く説明できない。でもそこに書いてあったあることから、あることを紐付けて話したり、思いついたことを投げ入れたりするのは好きだ。好き、なそのことを文章じゃなくて語りでひとりではじめてみようかな。ひとり読書会みたいなこと。1冊の本を1年かけても別に構わない。聞いている人に本の内容を説明したりもしない。本の解説でも、解釈でもない。本を読んで漂い出したそのことを、ただ話すだけ。だからもしかしたら、本の話というよりも日記のようになるかもしれないし、昔話になるかもしれない。
知らなかったのだけれど案外完璧主義というか、見栄っ張りなところがあるので今のアカウントじゃなくて、まったく違うかたちで始めようかな。別に私だとわかってしまっても構わないのだけれど、今のアカウントで宣伝したりわざわざしないで、たまたまネット上で興味がひっかかった人が聞いてくれる感じ。誰も聞かないかもね。それならそれでもいい。
撮りっぱなしで編集は特になしでもいい。
誰かひとりくらいは聞いてくれるかな。
昔の、まだSNSがなかったころの、ひとりのちいさなホームページみたいに。
https://open.spotify.com/show/5Ttkd1iuVfYBkKG7l2hrrG?si=0cb4cfadbbb1458b
今はSNSとかで通知しないと誰にも聞かれないのね。そのことでほっとしてもいる。
本のことだけじゃなくて、文章にするには時間がかかりそうなことを話してメモするような場所にしてみよう。
あとから聞き返したりしないからメモもなにもないのだけれど、話すことで整理する場所。